【Seepのルーツ】皆様の髪を担当するのはこんな美容師です 2024.10.30 経歴 ‐Seep出店までの道のり‐ 宮城から新川崎に来た理由 宮城県の栗原市という田んぼに囲まれた田舎で生まれ育ちました。 父親がDIYの会社に勤めていたこともあり、小さい頃からDIYが大好きでした。 ノコギリで木を切ったり、鉄をグラインダーで切ったり、溶接したり。 高校生くらいでファッションにも興味を持ち始めた僕は自分の髪を切ったり、 頼まれて友達の髪を切ったりするようになり、進路は自然と美容師の道へ。 学校では成績のトップを取ることに執着し、ひたむきに練習をかさね、 充実した時間を過ごしながら近場での就職先を探し始めた矢先、東日本大震災が起きました。 当時僕の実家は山沿いだったので運良く大きな被害はありませんでしたが、土砂崩れや、橋の崩落、道路が走行不能になったり 何も情報が入ってこない状態が続きました。 断水も起きて冷たい井戸水で他織を絞り体を拭く生活をしていた中、小学校の同級生との再会。 カットを頼まれ、まだ技術が整って無い中で俳優さんの切り抜きを見せられて、3時間ほど格闘したのを今でも覚えています。 時間はかかりましたがその後、友人にとても喜んでもらえて嬉しい限りでした。 その出来事から始まった美容師としてのルーツ、「人に喜んでもらう、そして喜んでもらった気持ちを自分も体感する」 これは今もブレずに持ち続けている信念です。 と同時に、自分は美容師としてどこまでできるのか、田舎を飛び出す決意を固めました。 もっと喜んでもらえる人を増やしたいその一心で就職し、寝る時間もプライベートも時間を割いて練習に明け暮れ、 配属された鹿島田、新川崎エリアの店舗で13年、グループで最短のデビュー、最年少での店長も務めさせていただき、 とても濃厚な20代を過ごさせていただきました。 年を重ねるごと、信頼してもらえる、頼っていただけるお客様と喜びを共感し10年以上担当させていただいてる方が、ほとんどです。 その時、ふと浮かんだのが、このままで良いのか、今の喜んでもらえる事の上は無いのかという、美容師以上の何かになりたい欲が出ました。 美容師以上の何かになりたい その想いが芽生えた29歳で社内独立をし、髪だけではなく、全体の美容を通してメイク、ヘルスケア、フェムケアの技術と知識をつけたいと駆け回り、 自由度が広がった後はまたアシスタント時代を思い出し、多方面の技術もひたむきに練習。 とある縁で一流のヘアメイク・カメラマンの繋がりを作っていただき、普通ではありえない環境下で美容と向き合い 毎日いろんな感銘を受けながら新たな技術を磨きました。 その甲斐があって、芸能関係、アパレルのカメラマンやヘアメイクも仕事をするようになり、そこで得たものをお客様に還元できるようになりました。 そして今に至ります。 髪以外の美容の観点を交えて、よりお客様のライフスタイルに浸透できる美容室SeepをOpen。 社内独立した当時描いた「他の美容師ではできない店を作ろう」をやっと形にすることができました。 これから信頼できるスタッフを増やし、僕の経験と情報を共有して、長く信頼してもらえる美容室を作っていきますので どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます。